1999年10月10日 日曜日 
由香の赤ちゃん誕生

昨日の土曜日、汐見ちゃんたちが帰った後、由香が入院したので一応手伝いのため府中に向かった。由香は土曜の明け方にはすでに入院していた。一応、産院の由香の部屋に電話したところ、かなり陣痛が強くなっているらしく、行っても相手している余裕ないかもと言われた。まあ私も去年、陣痛中は同じく相手なんてとてもしてられなかったから気持はよく分かった。でも一応なにか手伝えるかも知れないと思い、出発。日南子を真基さんにお願いしていく。

国分寺についてコンビニエンスストアで差し入れを買ってタクシーに乗る。産院が個人病院のため運転手さんとさがしながら(途中何度かユーターンしながら)向かう。結局さがせなかったので、酒屋さんにたずねたところ、そのすぐそばにあった。

産院に入り、ナースステーションで居場所をきく。一番奥の部屋だった。入ると、由香はかなり疲れていた。タケさん(由香の夫)が付き添っている。由香はまだ会話する余裕があり、少し話す。3分ごとくらいに陣痛がきているとのこと。話しているうちに陣痛がきたので、去年私が実際にした呼吸法を教える。愛育の看護婦さんがしてくれたように一緒に「ふー、ふー、ふー」と呼吸してやった。腰が痛いというのでさすってやる。これくらいしかしてやれない。

ここの産院では助産婦さん・看護婦さんがついて呼吸法をリードしてくれないようだ。まあたいていはそうで、愛育が特別なのだろう。そのかわりというか、ここの産院はとてもきれいで各部屋にトイレ、洗面所、テレビ、冷蔵庫が完備されていてまるでホテルのようだ。

8時に私が到着して、9時には2分間隔、10時過ぎには1分半間隔になってきた。陣痛の合間に由香がうとうとしはじめる。私も陣痛の後半は意識が遠のき、ほんのわずかの合間に眠っていたのを思いだす。しかもかなりいきみたい感じになってきたと言う。いきみをこらえるのに必死だ。この分だともうすぐ分娩室だな、、、と思いながら呼吸法をリードし、腰をさする。すると助産婦さんが様子を見に来た。

8センチまで子宮口が開いたのでそろそろ分娩室の用意をするとのこと。それを聞き、もうすぐだと分かり、3人ともほっとする。しかし、そのころ由香は過呼吸のために手足がしびれて震えはじめた。これも去年、私は経験していて、万が一と思って用意してきたビニール袋を由香の口にあてる。こうすると吐いた二酸化炭素をもう一度吸うことになるので、酸素のとりすぎを防げる。

まだかまだかと待つうちに、助産婦さんが11時30分頃、車椅子を持ってきて由香を乗せて分娩室へ連れていった。タケさんと私は分娩室の前で見送った。分娩室の前で待機していたが、けっこう中の声が聞こえてくる。するとそこへもう一人、産婦さんがすごい唸り声をあげながら付き添いの人に支えられて分娩室(ここの産院では一つの部屋に2つ分娩台があり、重なると相部屋になる)に入っていった。すごい大声で苦しんでいたので、もう分娩台に乗ったらポロリかな?と思っていたら、実は後で由香に聞いたところ、この人はまだ子宮口5センチ開大の状態だったそうだ。だから分娩台に乗っても産めるわけではなかったらしい。この人の叫び声のせいで(?)由香のほうの動きは皆目分からなくなってしまった。実際、この人は助産婦さんに「そんな大声あげないの!」と怒られていた。

そうこうしているうちに、4、50分経過した頃、由香の「わー、男の子ー!抱っこ抱っこ!」と喜ぶ声が。タケさんは「分かりやすいなー」と笑っていた。しばらくして赤ちゃんがやってきた。きょろきょろ辺りを見回している。泣かずにじーっとこっちを見ている。抱っこすると、ぐにゃぐにゃ。日南子もこんなだったよなーと感動する。しばらくして由香が出てきた。聞くと会陰切開しなかったとか。かなりお産の進みが速かったらしく、切るのが間に合わなかったらしい。でも少ししか裂けずにすんだそうだ。うらやましい。車椅子を押しながら助産婦さんが「冷静で、とってもいいお産でしたよー」とほめていた。実は私も去年、助産婦さんに「とても我慢強かったわね」とほめられたのだ。2人とも一度も叫んだり唸り声を出したりしなかったからか。姉妹ってこういう時も似てるのかもね。まあ無事産まれて本当に安心した。

もう夜中過ぎで電車がないので、5時前にタケさんと一緒に産院を出た。国分寺でタケさんと別れ、中央線に乗ろうとしたら、なんと信号機故障のため三鷹までしかいかないとのこと。しかたなく三鷹で降りてタクシーを見知らぬおっさん3人と相乗りして吉祥寺に行き、井の頭線経由で帰宅。家に着いたのが7時であった。しかし気分は晴れ晴れ(JRにはむかついたが、、、)。また赤ちゃん見にいこうっと。