1998年8月29日 土曜日


今日は朝から台風の影響で変な天気。雨が降ったりやんだり晴れたり。
手伝いに来てくれた母は今日は新宿の高島屋とアークヒルズにあるサントリーホールでのコンサートにでかけた。(今日は旦那が休みで家にいてくれるので、安心だし、ちょっと2人きりにしてくれようとしているのだろう。それに札幌の勤め先の仲間にお土産を買うようだ。)


日南子は今日は朝からいつもと違っていた。授乳間隔が異様に短い。1時間、もっても1時間半なのだ。今まで飲ませたら3時間はぐっすりだったのでパニックになる。あわてて育児書(札幌の父がくれた本でその道では有名な小児科医の松田道雄さんという方が書いた本。新米ママの私は大変重宝している。ずぼらな私にとてもあってて、基本的に特別なことはなにもしなくていい、気にしなくていい、というような論調で書かれているので焦った時に読むと救われる。)を調べる。どうもこれは2週以降の新生児に見られる兆候で飲む量が増えたために授乳間隔がせばまっているとのこと。やっても乳量が足りないためすぐ目が覚めてしまうのだろう。だが本には授乳間隔が1時間毎になってもかまわないから欲しがるたびに授乳しなさいとのこと。そうすることで自然とお乳の分泌もよくなるようだ。
午後になり、やはり1時間ごとに泣く日南子にパニックを起こしつつ、真剣な顔でお乳をやる私。(はたで見ているとこわい図だろう)そのかいあってか3時半以降、お乳がはってくる。分泌量が増えてきたようだ。日南子も現在は続けて2時間以上眠っている。一安心 である。
妊娠中はこんなにお乳が重要だとは考えていなかった。しかし出産した後は、病院でもとにかくお乳が優先事項なのだ。出産で疲労した体にムチをうちつつ、深夜、授乳室に集まりねぼけまなこでお乳をやる産婦さんたちの光景は私のお産の入院のイメージと全然違っていて驚いた。私も分娩後、9時間後には授乳室に行くよう看護婦さんからすすめられた。(でもその時間って夜中の3時 、、、ちょっと貧血気味だった私はその次の7時からの授乳に参加させてもらうことにした。だって歩くとフラフラしてたから、、、、)入院中の生活はとにかくお乳の時間が中心だった。始めは病院側が決めた時間があって(午前3時、午前8時、午前11時、午後2時、午後5時、午後8時、午後11時) その時間に行って授乳するのだが、そのうち赤ちゃんの日齢がすすむに従って、その赤ちゃんが泣いたら放送で呼び出されるのだ。「宮本さーん、赤ちゃんが泣いてまーす。授乳室にきてくださーい。」夜中は懐中電灯を持った看護婦さんが容赦なく起こしにくるのだ。
しかしそのおかげで入院中に自分の赤ちゃんのリズムがつかめるというメリットがあるのだ。
愛育病院では徹底した母乳栄養主義で、人口栄養は本当に最後の手段といった感じで使われる。 私は果たして自分が母乳が出るかどうか全く分からなかったから不安だったが、看護婦さんにとても分泌がいいと言われ、退院時にも 宮本さんの母乳は大丈夫!と太鼓判を押され安心していた。
しかしここにきてパニック。やはり育児は思うとおりにはいかないもののようだ。今はこのレベルだが、だんだんもっと複雑な出来事があるのだろう。
日南子は午後6時の授乳の後、いつものサイクルに戻ってくれた。よかった。。。 あとは旦那と二人で沐浴させて終了だ。(とりあえず本日は。)