2000年3月22日 水曜日 
母子手帳



第二子のための母子手帳をとりに日南子を連れて六本木支所まででかける。今日は風が強くて心配だ。ベビーカーでいくか抱っこでいくか悩むが、どうせ歩いてくれないだろうと思い、ベビーカーで出る。しかし駅の階段を片手で日南子を抱っこ、もう片手でベビーカーをかついで下りたり上がったりするのはほんと死にそうに大変。ましてや一応妊娠しているのだが、、、。でも誰でも2人目妊娠したら甘えたことは言ってられないんだろうなあ。エレベーター付けてくれればいいんだけどなー。 それでも見知らぬおばさんがベビーカーをかついでくれて嬉しかった。「私も3人子供いたからたいへんなの分かるわ」と言っていた。私も将来赤ちゃん抱えてたいへんそうなお母さんを手伝ってあげたいなと思った。

六本木の駅周辺はビルがいっぱいで、ビル風がゴーゴー吹いていた。日南子も悲鳴をあげていたが、しょうがない。なんとか支所に到着。窓口で妊娠届けとかいうのを記入して母子手帳と「母と子の保健バッグ」というのを貰う。日南子の時と違って、「それでいいよ だいじょうぶ」というタイトルの育児本や「教育手帳」というタイトルのしつけ本が入っていた。昨今の乳幼児虐待の増加を憂えて作成されたのだろうか。春奈ちゃん殺害事件で育児中のお母さんがたの孤独感や悩みがクローズアップされてきているし、、、。あと最近の少年犯罪は家庭がそもそも問題だということで作成されたのかも、、、。確かに昔と違って核家族の育児というのはなかなかきつい状況だと思う。私も1年半育児してきてほんとかなり精神的にまいったときも何度かあった。ぐずって大泣きする日南子にほとほと嫌気がさして、一緒に泣いたりしたこともあるし、あまり言いたくはないがいたずらしまくる日南子についポコンと頭を叩いたりしちゃったこともある。でもそうした後の自己嫌悪はもう最悪で、「私は最低の母親だ、、、」とさらにさらに落ち込む。そういういやーな気持の時は私は札幌の母や、小平の妹に電話して話をして気分転換してきた。話すと本当にすっきりするのだ。母や妹のおかげで精神的にバランスとれてきたのかもしれない。

今、真基さんのお仕事がすごく忙しくてここ1か月ほど母子家庭のような状況で過ごしているのだが、これがけっこうきつい。特に夕方6時ごろから7時半ごろが最悪。日南子は退屈してヒステリー起こすし、私は一日の疲れがピークでソファで座って休みたい。何度も何度も絵本を読まされたり、ブロックをくっつけろと持ってこられたりすると、「お願いだから少し休ませてくれー」と日南子に泣き言をいってしまう(もちろん日南子にわかるわけがない)。無視しようものなら日南子は金切り声をあげて床の上に大の字になって暴れる。ほんと朝から晩まで日南子中心の生活である。でもそんなの親だから当然だね。日南子はまだなんにもできない赤ちゃんなんだから。それにこの母子家庭状態はうちでは一時的なものだが、いつもだんなさんが夜遅くて日常的だというお母さんもいるだろう。そういうお母さんに比べればうちなんか楽なほうだ。

最後に、母子手帳の表紙の絵がちょっと変わっていた。ちょっとレトロな母と子というのは同じだが、、、。