2000年1月〜2月
第二子つわり日記



1月16日(日)の夜8時ごろ、急に胃がムカムカしだす。あまりに突然だったが、以前日南子を妊娠したとき体験したのと同じ気持の悪さだったので「つわりだ」とすぐ分かった。

つわりの気持悪さは人によって程度が違うようだが、私の場合、以下の状態になった。
・寒い(微熱が出ているためだと思う。寒くて寒くて暖房の無い台所に立つのがすごく苦痛)
・だるい(これも微熱のせいだと思う)
・胃が常にむかむかしていて、ひどい時は雑巾のようにギューっとしぼられているかのような気持悪  さ。このムカムカ感は眠っている間も続いていて、明け方目を覚すとあまりの気持悪さになかなか再度寝付けなくなる。食事の度にトイレで吐く。
・口の中がネチャネチャして、生唾がわく。
・匂いに敏感になる。ピーク時には冷蔵庫の匂いが気になり、ドアを開けるときは息を止めていた。あと石鹸や歯磨き粉の匂いがいやだった。お茶やコーヒーもだめ。
・やたら眠い。夜の10時には意識が朦朧としてくる。もちろん日南子と一緒に昼寝しないと日中もたない。
・頭痛。胎児がいるので薬が飲めない。これが一番辛い。私一人ならいくらでも寝ていられるが、日南子がいるとそうもいかない。ガンガン割れるように痛む頭で日南子のごはんの用意や遊び相手をするのは、拷問に近いものがある。寒気・吐き気のトリプルパンチでやってくる。

つわりが始まって1週間後に祖父の葬式のために札幌に行ったのだが、帰るころにはすっかりつわりが本格化していた。帰りの飛行機では座席で悶え苦しみ、日南子は真基さんにまかせっぱなし。 あまりの体調の悪さに翌週、名古屋の豊田から真基さんのお母さんに4日間手伝いにきてもらう。その間ほとんど寝ていた私。日南子の散歩や遊び相手やごはん、全てやっていただき本当に助かった。産婦人科の検診時にも付き添ってもらった(検診の待ち時間の間、ちょろちょろ動き回る日南子を追いかけ回す元気が皆無だったのでありがたかった、、、)。検診時にお医者さんにつわりが今回かなり辛いと言うと、尿検査してくれた。尿のアセトンとかいう物質の出具合でつわりのレベルが分かるらしい。結果はプラスで確かにちょっとひどいレベルだったようだが(最もひどいのはスリープラス)、点滴は2時間かかるとのことだったのでやめた。あと、だいたいいつまで続くのかも質問してみたが、「多分あと1か月ほどで軽くなるんじゃないかな」とのこと。長さも人それぞれらしい。一般的には妊娠16週で終わるようだ(私はこの時点で妊娠7週目であった)。

豊田のお母さんが帰ってからの2週間は頭痛で苦しむ。とにかく胎児にとっては今が一番大事な時期で脳やら目やら大切な器官がぞくぞく出来上がる時らしいので、薬は絶対飲んではいけない。薬無しで頭痛をこらえるのがどんなに辛いか、頭痛持ちの方はよくおわかりだろう(私は普段から頭痛によくなり、ひどくなると寒気がして吐いて寝込む)。しかし不思議なのは日南子の時は妊娠中一度も頭痛にならなかったことだ。だから今回もてっきりそうだとたかをくくっていた、、、。甘かった。 2度目に頭痛に見舞われたとき、私はベッドで七転八倒しながら苦しみ、日南子は私に相手にされずに泣き叫び、もうこれは限界だと感じた。寝たまま会社の真基さんと札幌の母に電話し、日南子を連れて帰省したい旨を伝えた。父はすぐ航空機の予約をとってくれ、3日後の2月13日(日)夜7時の便で私と日南子は札幌に向かった(機内で日南子は退屈して暴れまくり、前の座席を足でバンバン蹴ったり、隣の人にちょっかいだしたり大変だった。降りるとき、前の人と隣の人に謝った)。 伯父のまさおちゃんと母が空港まで迎えに来てくれた。

札幌での2週間は本当に楽だった。なんせ、家事は全くしなくていいし、誰かが(母か祖母)必ずいるので、精神的に安心できた。そのせいか食事もできるようになり、吐いたのは2回だけだった。ただ夜寝るときに胃がぎゅーっとよじれるような不快感があった。日南子はおおむね快調だったが、ちょっと生活リズムが狂って夜中に泣いて起きだし、1ー2時間ほど遊ぶようになってしまった(でもこれも東京に戻ったらすぐなおった。日南子の場合、公園などで2時間ほど遊んで運動しない安眠できないようだ)。でもごはんは栄養たっぷりで豪勢だし、遊んでもらえるし、よかった。

2週間の間、初めて雪の中を歩いたり、ボブスレーにのったり、さらには近所の同級生の娘さん(ユウカちゃん。1歳8か月。この子が又、すごいよくしゃべるのでびっくり。「ユウカのおうちにね、おしょうゆがあるの」「レモンしゅしゅしゅーってかけるの」などなど、文章でしゃべるし、会話もできるのだ)が遊びに来てくれたり、児童館へ行ったり、日南子はけっこうエンジョイしたようだ。

あと、今回は里帰り出産する予定なので、ついでに母おすすめの産婦人科病院に見学にいった。

帰りの飛行機は日南子が眠りそうな時間帯の便を予約し、さらに1000円増でレインボーシート(日本エアシステムである)にしたので席が広々としていたのでよかった。予想どおり日南子はぐーぐーだったし、スチュワーデスさんから.おさるのもんきちの可愛いラムネ菓子を貰った。帰りはとてもスムーズだった(しかし、日南子が足で林檎ジュースのカップを蹴飛ばしてしまい、カーペットを汚すというアクシデントが発生。あわててスチュワーデス・コールしてふいてもらいました。すみません)。

空港の到着ゲートに真基さんが迎えに来てくれたのだが、2週間ぶりに会ったせいか日南子泣きだす。これはさすがに真基さんもショックだったらしい。でもすぐに慣れたけどね。 とまあ、今回のつわりにはかなりまいりました。やはり持つべきものは双方の親、、、ですね。 ほんと豊田と札幌の実家には言葉でいいつくせないほど感謝しております。